サラとマリウス・ハンプトン侯爵夫婦のもとに、衝撃的な告白を携えた男が訪れる。「隠れてサラと愛し合っている。」と。 身に覚えのない不貞の証拠に、いくらサラが誤解だと訴えてもマリウスは次第に疑念を深めてゆく。 男の目的はただ一つ、サラを奪うこと。
View More「今日はどのような要件でお越しでしょうか?」
ハンプトン侯爵であるマリウス様と共に、妻であるサラは、突然邸に訪れたホルダー侯爵に戸惑っていた。
応接室にお通ししたホルダー侯爵は、ソファに並んで腰かける私たち夫婦をじっと見据えている。
そして、その瞳には、何故かただならぬ静かな恐れの色が宿っていた。
ホルダー侯爵は私の親しい友人ルヒィナ様の夫に当たる方であり、ルヒィナ様とは、仲良くさせていただいているが、夫であるホルダー侯爵とは、挨拶程度の関わりしかなかった。
「実はハンプトン侯爵に、どうしてもお伝えしなければならないことがありまして…。」
「はい、どのようなことでしょう?」
私の夫であるマリウス様は、ホルダー侯爵とはたまに夜会で顔を合わせることがある程度で、まともに話すのは今日が初めてというぐらい接点がなかった。
「誠に申し上げにくいのですが、僕とサラは密かに付き合っておりました。
…男女の関係という意味です。」「…何だって?」
「…嘘よ。」
マリウス様の眉が険しく寄り、私の顔をまっすぐに見つめ、はっきり怒りを伝えてくる。
私は衝撃で言葉を失い、ただ首を小さく振り、違うと必死にマリウス様へ訴えていた。
「申し訳ありませんが、これは事実です。
そして、その証拠もお持ちしました。」ホルダー侯爵は神妙な面持ちで、一冊の日記帳をマリウス様の前に差し出した。
マリウス様は無言でそれを受け取り、ページをめくりながら目を走らせる。
しかし読み進めるにつれ、その表情は徐々に険しさを増していった。「これは…。」
「違うわ、そんなの嘘よ。」
思わず声が漏れる。
そこには、ルヒィナ様のお茶会へ出かけていたはずの日の記録が、まるでホルダー侯爵と密会していたかのように詳細に記されていた。
天候や時間帯、二人の会話、そして、どれほど愛し合ったかまで、細かに書かれている。
「申し訳ありません。
ですが、僕はサラをずっと愛してきました。」その言葉に、マリウス様の目がさらに鋭く細まる。
「自分が今、何を口にしたのか、本当に理解しているのか?」
「マリウス様信じないで。」
「わかっています。
すみません、自分の心をこれ以上誤魔化すなんてできない。 再会してから、隙を見つけては身体を重ねているのに、ハンプトン侯爵は本当に気がつきませんでしたか?」その瞬間、マリウス様は素早く立ち上がり、ホルダー侯爵に拳を振るった。
ソファに座っていたホルダー侯爵は、床に倒れ込み、殴られた頬を押さえ、痛みに耐えている。
「やめて、マリウス様。」
「サラは、この男を庇うのか?」
「違います。
でも、暴力は…。」「うるさい。」
そう言って、マリウス様を抑えようと手を触れると、彼は私を汚いものでも見るように眉をひそめ、手を払った。
そんな仕打ちを受けたのは初めてで、私はただ彼を見つめたまま、言いようのない衝撃に呑まれていた。
彼は、私に触れられることを拒んだのだ。
すべては誤解なのに。「聞いて、マリウス様、私は決して…。」
「今、この男と話している。
サラは黙ってろ。」マリウス様は私の言葉を遮り、背を向けた。
あんなに優しかった私のマリウス様が…。「ハンプトン侯爵、今日はこれをお持ちしました。
5千万ゾルクで、この件を収めていただき、サラを私に譲ってはいただけませんか?」「人の妻を何だと思っている?」
「申し訳ありません。
ですが、私は心から彼女を愛しているのです。」「ホルダー侯爵には夫人がいたはずだが?」
「妻にはすべて話ました。
彼女は僕の気持ちを理解してくれ、離縁に応じ、邸を出て行きました。」ホルダー侯爵はなおも床にひれ伏し、マリウス様に頭を下げる。
「この男がここまで言っても、サラは認めないのか?」
「だって、違うもの…。
嘘つかないで、ホルダー侯爵様。」次々と語られる彼の虚偽の告白に、これ以上心をかき乱されたくなくて、私は両手で顔を覆った。
ホルダー侯爵は、まるで昔からの恋人であるかのような距離感でそっと近づいてきて、優しく言い聞かせるように語りかけてくる。
「サラ、もう素直になろう。
本当の気持ちを認めて、二人でやり直そう。 君の背中の真ん中にあるほくろ。 そこに口づけせずにいられないと言っても、まだ否定するのかい?」「やめて、勝手なことを言わないで。
もう出て行ってください。」「ここまで話しても認めようとしないんだね。
二人の時はとても素直なのに。 ハンプトン侯爵、僕はあなたに渡す金銭の準備も、彼女を迎える準備もできている。 それでもなお、離縁に応じていただけないのだろうか?」「突然現れて、すぐに離縁などできるはずがないだろう?
とにかく、今日はもう帰ってくれ、後日、連絡する。」「承知しました。
必ずご連絡ください。 彼女を迎えに参ります。 この度は申し訳ありませんでした。」ホルダー侯爵はマリウス様に深々と頭を下げると、ちらりと私に視線をよこし、ニヤリと笑いながら、部屋を後にした。
その様子を見ていたマリウス様は、手元のカップを掴むと、無言のまま壁へと叩きつけた。
ガシャン、と激しい音が響き、砕けたカップの破片が床を跳ね、お茶が壁に飛び散る。
彼は今や悪魔のような形相で、砕け散ったカップを睨みつけていた。
こんなにも怒ったマリウス様を見るのは、初めてだった。
私は震えながら、その彼の怒りは私に向けられたものだと理解する。私を殴れないから、マリウス様はカップにその怒りをぶつけたのだ。
マリウス様は無言で立ち上がり、応接室を出て行こうとドアに足を向ける。
「待って、マリウス様、私の話を聞いて。
本当にあの方とは何もないの。昔、婚約の打診をされたことはあるけれど、その時お断りしているわ。
でもそれは、マリウス様と出会うよりずっと前のことよ。今はルヒィナ様の夫だから、会った時には挨拶をする。
それだけの関係なの。 誓ってあの方のいうような関係ではないわ。」「昔、関わりがあっただなんて、そんな話は聞いていない。」
「だってそれは、遠い昔の話だもの。
お断りしたすべての方の名を言うべきだったの?」「そうではない。
だが、かつて関わりがあって、今も顔を合わせる仲なのは、事実なんだな。 そんな大事なこと、一言も聞いていないのに。」「さっきも言った通り、彼に会いに行っているわけじゃないもの。」
「だか、君がホルダー侯爵の邸に足を運んでいたのは事実だ。
夫人との約束と言いつつ証拠がある以上、ホルダー侯爵と密会することが目的だったとも言える。」
「そんな…、ルヒィナ様がいるのに、その夫とだなんて、不可能だわ。」
「夫人には帰ると言って邸を出て、すぐにホルダー侯爵と合流して愛し合ったと記されている。
確かにこれなら夫人にも、僕にも怪しまれず、誤魔化せるな。」
「絶対に違うわ。」
「そうだとしても、今これ以上話をする気になれない。
冷静でいられる自信がないんだ。 はっきり言って、僕は今、君の顔を見たくない。 もう何もかも信じられなくなった。だがいいか、今日から一歩も邸を出るな。
もし、また密かにホルダー侯爵に会っていたら、その瞬間に離縁だ。」そう言い捨てて、マリウス様は足音も荒く、部屋を後にした。
その背中を呆然と見つめる私は、この悪夢のような出来事がどうして起きたのかさえ、全くわからなかった。
ただ一つ確かなことは、マリウス様に拒まれた自分自身と、もう決して元通りにはならないであろう二人の結婚生活が荒野に横たわる。
そんな予感がして、私はその場から一歩も動けなかった。遡ること数刻前、「サラ様、ローサ様の侍女がお話があると、いらしております。」邸では侍女達が揃い出し、ローサ様の侍女達は、つい先日、彼女の邸に戻ったばかりだった。「あら、何かあったのかしら?応接室にお通しして。」「ですが、旦那様から邸に誰も入れてはいけないときつく申しつかっておりまして。」「でも、ローサ様の侍女達は特別よ。とてもお世話になったの。」「かしこまりました。」マリウス様は今、ルヒィナ様とご両親を安全なところに避難させるために、邸を離れたままだ。けれど私は、この邸にいる限り私兵に守られているから、安全なはずだ。軽く身なりを整え、ローサ様の侍女が待つ応接室に向かうと、部屋の中には固い表情のソニアさんが、指先で袖口をせわしなくいじり続けながら私を待っていた。「先日は、大変お世話になったわね。結局、マリウス様とルフィナ様を訪問することで、彼女と直接話せたの。誤解が解けて、また仲良くできそうよ。落ち着いたら、ソニアさんにもお礼を考えているの。ぜひ、受け取ってね。」「はい、…。」何故かソニアさんは、気もそぞろといったようすで言葉に詰まる。「どうしたの?落ち着かないようすね。何かあったの?」「…それが、ホルダー侯爵様が、ローサ様を拘束しておりまして、サラ様を私に連れて来るようにと命じました。」「えっ、何ですって?ローサ様が?」「はい。サラ様、ローサ様を解放するために一緒に来ていただけますか?もし、他の者に口外したら、ローサ様の命はないと言われています。誰にも告げずに、ホルダー侯爵様の指示に従ってくれますか?…お願いです、サラ様、私はローサ様を守りたいんです。」「もちろんよ。それは私のせいでもあるもの。ローサ様は巻き込まれただけ。すぐに参りましょう。」「ありがとうございます。サラ様が身代わりになるとわかっていながら、こんなことをお願いしてすみません。」「いいのよ。ローサ様が解放されたら、マリウス様に伝えて。そしたら、あなたはこのことを忘れて。何も悔やむことはないわ。」「…すみません。」「さあ、行きましょう。」結局、私がホルダー侯爵の元へ行かないと、いつまでも終わらないのね。ただ巻き込まれただけの、新たなる犠牲者が生まれてしまう。私のせいで、もう誰も傷ついてほしくない…。私はソニアさん
マリウスはルヒィナさんとカーソン男爵夫妻を、信頼のおける知人の別邸まで送り届けた後、王宮に赴き王にすべての経緯を報告し、夜更けをとうに過ぎた頃、邸に戻って来た。王は不貞はホルダー侯爵の虚偽だと理解してくれたが、実際のところ、僕が「不利益を被った。」と訴えても、「たかだか金銭の支払いを請求できるだけで、たいして罪には問われない。」と判断された。僕の名誉が少し傷ついただけで、僕達がそのことで離縁したわけではないからだ。そう言われれば、腑に落ちないが仕方ない。だが、ルヒィナさんは脅迫されて、ホルダー侯爵と離縁しているし、カーソン男爵夫妻もこの先彼に狙われる可能性がある。彼女らには僕を通して保護が適用され、しばらく近衛兵が避難先の警護に当たってくれることになった。しかし、現段階ではカーソン男爵家へ本当に危害を加えるか分からず、たいした罪に問えない。離縁や脅迫の罪では、金銭を要求できるが、牢に捕えることまではできない。だから、とりあえずは対策をして様子を見るしかできることは無かった。仕方がないのでそちらは一旦置いておいて、僕は何としてでも先にサラとの仲を修復したい。彼女が不貞をしていなかったことは、最大の喜びだけど、それと同時に僕がサラを信じなかった罪が生じている。僕は間違った判断をし、どうすれば彼女が許してくれるかまだわからない。けれども、こうなってしまった以上、誠意をもって謝るしかないこともわかっている。無実のサラを疑い、長い間責めていたのは、すべて僕が悪い。彼女があんなに「信じてほしい」と訴えたのに、証拠があるからと彼女に寄り添えなかった罪は大きい。どんなに証拠があったとしても、彼女を信じきる。その覚悟が僕には足りなかった。自分の過ちの重さに、打ちのめされる。邸に戻ると、ただならぬ気配のチャベストが、僕の帰りを待っていた。「マリウス様、おかえりなさいませ。早速ですが、重要なお知らせがあります。人に聞かれたくないので、ここでは話せません。二人きりになれるところに参りましょう。」「わかった。応接室で聞こう。」すぐに二人は足早に移動し、部屋に着くなりチャベストは話し始める。「早速ですが、ローサ様の侍女がサラ様を迎えに来まして、すぐに二人はギルフォード公爵邸に向かうと話し、馬車で出て行かれました。お引き止めしましたが、どうし
「すみません、サラ様。あんなに私と仲良くしてくださったのに。私はデニス様と結婚していた頃、彼の本当の思惑に全く気づいていなかった。彼にとって、私はサラ様に近づくための駒だったんです。彼は優しく、いつも私を気遣ってくれて、とても幸せだったし、私は…愛していました。なのに、秘密を知ってしまった後の彼は、まるで別人のように冷たい目をしていて、とても逆らうことなんて、できなかったんです。デニス様とサラ様が付き合っていた証拠と呼ばれる日記帳は、私が当時サラ様と会っていた時の日記帳を改ざんして作られたものです。彼と離縁する時、一方的に私が書いていた日記帳を奪われました。あの頃は何故デニス様が日記を書くように勧めたのか、全く理解していなかったけれど、後からサラ様との不貞の証拠として使うためだと知りました。私がサラ様に憧れず、お茶会を開いたり、日記など書かなければ、不貞の証拠を作ることができなかったはずです。サラ様へのお詫びの言葉が見つかりません。本当に、申し訳ありませんでした。しかも、すぐにサラ様に真実をお話しすれば良かったのですが、両親に危害を加えると脅されていて、お話しできませんでした。あんなに仲良くしてくれたのに、私がサラ様を陥れる手助けをしてしまった。だからずっと、サラ様に申し訳ないと悔やみ続けていたんです。ごめんなさい。」ルヒィナ様はそう語ると、神父様に支えられながら肩を震わせ、堪えきれずに泣き出した。「そんなことがあったのね。ルヒィナ様のせいではないわ。彼は狡猾な人よ。きっと、あなたじゃなくても、誰かを騙して、同じことをさせていたと思うの。気づいてあげれなくて、こちらこそごめんなさい。話してくれてありがとう。」「ということは、サラは本当に不貞をしていないのか?」「もちろんよ。最初からそう言っているわ。あなたが信じなかっただけ…。」「サラ、…すまない、すまない。」マリウス様は、青ざめたまま俯き、何度も私に詫びている。「やっとわかってくれたのね。でも、その話は後でしましょう。」「わかった。」「ハンプトン侯爵様、私のせいで、サラ様と仲違いしてしまったのですね。ごめんなさい。」「いや、サラの言う通り君のせいじゃない。僕が信じれなかったせいなんだ。でもそうなると、ホルダー侯爵はルヒィナさんと知り合う前から
ルヒィナが幸せな結婚生活を続けていたある日、デニス様が不在の時に、刺繍の図案を考えたくて、どうしても紙が必要で、彼の執務室に入り、いつも紙が置かれている辺りを探した。けれども、こんな時に限って、一枚も見つからない。デニス様が帰るまで待つしかないかしら。そう言えば、サラ様とお茶会をしている時は、いつもデニス様も邸にいて、二人で図案を考えていた時、紙がなくて困ったことはなかったわ。その時、ふと目の前の本棚に目をやる。今までデニス様がどんな本を読むのか、聞いたことはなかった。彼の知性を司るような分厚い本がびっしりと並んでいて、そんなところも素敵だと思ってしまう。気になって、一冊手に取ってみるが、細かい字がびっしり書かれていて、とても私には読めそうもないわ。諦めて本を棚に戻そうとするが、何故か奥まできちんと入らず、一冊だけ並びからはみ出してしまう。後ろに何か物が挟まっているのかしら?本を出し、奥へ手を入れ、何かないか探ると、不自然に盛り上がっている部分がある。これがあるから、本がちゃんと入らないのね。引っ張ってみるが取れない。だったら、最初は本が収まっていたんだからと今度は押してみる。すると、カチリと音がして本棚がドアのように後ろへ開いた。えっ、何なの?これって、扉?すると奥にもう一つの部屋が広がっている。格式のある邸の書斎には、このように財産や命を守る隠し部屋があると、噂では聞いたことがあった。なるほど、ホルダー侯爵家も高貴な家系だから、邸にこんな部屋があっても不思議ではない。何かあった時のために、この部屋を知っていることは大切ね。気になるので、そっと入ってみる。そこはもう一つの大きな部屋で、壁にはサラ様の絵が何枚も飾られていた。えっ、どうしてここにサラ様の絵が?絵の前にはソファが置いてあり、そこに座って絵を眺めることができるようになっている。この絵はデニス様が私への贈り物として、用意していたと言うこと?そのソファに座り考えるが、絵の中には私が出会う前の若い頃のサラ様もいて、どう考えても、デニス様が自分のために用意したとしか思えない。デニス様はサラ様を好きなの?彼女に惹かれる気持ちは、私が一番理解できる。だからと言って、わざわざこんな部屋を作ったの?私にはサラ様を気にしてるなんて一言も言ったことはなかったし、そ
「デニス様、今日もサラ様は素敵でしたわ。」「それは良かったね。」今では、サラ様を交えたお茶会を私の邸で開き、その後に彼女と二人で刺繍を楽しむのが、私の日常の一部となっていた。デニス様は私がサラ様に憧れていることを理解してくれているから、彼女が帰った後、いつもこうしてお話を聞いてくれる。「今日ね、二人で新しいガーベラの刺繍のデザインを完成させたの。それをドレスに刺繍して、お揃いにするのよ。夜会でそれを披露して、ガーベラの刺繍がお揃いであることに、気づく人がいるか試してみるの。気づく人は刺繍に関心がある人だから、私達の仲間に誘ったらどうかと思って。そろそろ刺繍仲間を増やしていきたいねって話していたの。デニス様はどう思う?みんなに刺繍が好きか聞いて回るより、素敵な方法でしょ。」「そうだね。だったら、それに合わせてドレスの生地から二人で選んで、ドレス自体もデザインして作ったらどうだい?」「そうね、そうすれば、刺繍がより映えるドレスが作れるわ。」「じゃあ早速、次回サラさんが来る時に合わせてドレス工房を手配しよう。僕から二人に仲良くなったお祝いにドレスをプレゼントするよ。」「ありがとう。それならサラ様に気を遣わせずに誘えるわ。もう、あなたはどれだけ私を幸せにしてくれるの。素敵過ぎるわ。」デニス様は出会ったあの日から変わらず、今でも私が喜ぶことを次々と提案して叶えてくれる。普通なら、妻が仲の良い友人と過ごせるようにと、ここまで協力してくれる夫はなかなかいないだろう。「君は、普通の女性は嗜み程度しかできない刺繍を、プロ並みにこなす優れた妻なんだよ。ところ構わず自慢して歩きたいぐらいさ。」「まあ、嬉しいわ。いつも刺繍にばかり夢中になって、あなたに呆れられていると思っていたの。」「まさか、そんなことはないさ。君は僕のそばで自由にしてくれるだけでいい。だって、それが君の幸せなんだろう?」「ええ、そうよ。」とっても優しくて、私をいつも喜ばそうと、素敵な言葉と共にくれる人。あの日、あなたと出会えて本当に良かった。私は躊躇わず抱きつき、彼に甘える。デニス様は、結婚を機に、サラ様とお茶会をするためにくつろげる部屋を新しく作ってくれた。その部屋には友人が多い時用のテーブル、サラ様と二人だけでお茶を飲むテーブル、二人でくつろぎなが
結婚した理由は相変わらずわからないけれど、夫であるデニス様はとても優しく完璧な男性だった。「さあ、ルヒィナはもうホルダー侯爵夫人になったんだよ。勇気を出して憧れのサラさんに話しかけてごらん。」「ええ、胸がドキドキするけど頑張ってみるわ。」王族までもが列席するような煌びやかな夜会で、デニス様に促され、すぐ目の前にいるサラ様に話しかける。「ハンプトン侯爵夫人、初めまして。私はホルダー侯爵の妻、ルヒィナと申します。」「あら、初めまして。よろしくね。」サラ様は笑顔で私に応じてくださり、突然話しかけた私に嫌がっているようすは見られない。だから、嬉しくてたまらず、ずっと伝えたかったことを打ち明けることにした。「ハンプトン侯爵夫人のドレスの刺繍はとても素敵ですね。」「まあ、ありがとうございます。刺繍にご興味がありますの?」「ええ、実は大好きなんです。」「やっぱり。だから、今日のあなたのドレスは蔓の葉の刺繍が施されているのね。とても繊細で、煌びやかね。もしかして、これはあなたが?」「ええ、自分で刺しました。」「自分でですか?大変だったでしょう。でも、とても素敵ですね。」「ええ、私の場合、すべて自分でとまではいかないけれど、一度やり出すと時を忘れて、続けてしまうの。」「ふふ、同じです。気づいたら刺繍に夢中になるあまり、夜が明けていることもあるんですよ。」「まあ、私も同じ理由で夫に心配されているわ。」「ふふ、そうですよね。」やはり彼女はドレスの刺繍を見て、どんなものであるかすぐわかるぐらい刺繍が好きなんだわ。私が思っていた通りね。「刺繍が好きな方とお友達になりたかったの。ぜひお友達になって。一緒に刺繍をしましょう。私のことはルヒィナと呼んでほしいわ。」「もちろんよ。私はサラ、一緒にお話もしましょう。」「話が弾んでいるようだね。」サラ様と話せて興奮気味の私の肩にそっと手を置き、デニス様が割って入る。「ああ、デニス様、私、サラ様とお友達になって、一緒に刺繍したいねって話していたの。」「それは良かったね。やあ、久しぶり。今はハンプトン侯爵夫人と呼んだ方が良いかな?」「ええ、ご無沙汰しております、ホルダー侯爵様。」デニス様とサラ様はさりげなく笑顔を交わした。「あら、デニス様はサラ様をご存知でしたの?」「
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